自己紹介・写真の経歴

皆様こんにちは。

写真家の福岡将之です。
私は、これまで植物写真、料理写真を中心に
ガーデン、園芸、料理の雑誌や書籍で、写真を撮り続けております。
私がこれまで撮影してきた、代表的な雑誌や本をご紹介いたします。

ガーデニング・園芸関連

「ガーデンダイアリー」
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「大成功のバラ栽培」
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ガーデン雑誌「マイガーデン」
年に4回の季刊雑誌。表紙を始め、主なほとんどのページを撮影しました。(2013年秋号まで)(マルモ出版)

NHKテキスト「趣味の園芸」
この号では、表紙にも採用されました。(NHK出版)


『紫竹おばあちゃんの幸福の庭』
北海道帯広にある観光庭園紫竹ガーデンの写真集。4年の歳月をかけて撮影しました。オーナーの紫竹昭葉さんとの共著(NHK出版)

『梶みゆきのオールドローズガーデン』
梶みゆきさんのガーデンのDVDBOOK。写真集の部分の撮影をしました。(NHK出版)

『まるごとわかるオリーブの本』
オリーブについて、栽培から料理、クラフトまで、一冊にまとまった日本で最初の本。前半の、小豆島での撮影を担当しました。(主婦の友社)

『育てておいしい はじめてのゴーヤー』
ゴーヤーの育て方、料理、緑のカーテンの作り方、沖縄島野菜の紹介など。(主婦の友インフォス情報社)

『ようこそバラの花園へ
アカオハーブ&ローズガーデンの庭づくり』

熱海にあるアカオハーブ&ローズガーデンの写真集。(アカオハーブ&ローズガーデン)

『バイオラング』
愛知県で開催された博覧会『愛・地球博」のメインステージを飾った巨大な壁面緑化パビリオンの写真集。工事中から開催期間まで追いかけた写真集+技術解説書。当時の日本の壁面緑化技術が紹介されています。(マルモ出版)


料理関連
『果実とハーブと小さな野菜 北鎌倉のお庭の台所』
北鎌倉に暮らす画家、藤田みどりさんの季節の家庭料理の本。この本の料理はなんでも美味しい。いろんな果実酒が充実。1年以上の時間をかけて季節を追って撮影。藤田みどりさんとの共著(主婦の友インフォス情報社)

『果実とハーブのお酒とシロップ ジャムとお茶とコンポート』
あまくておいしい、ジャムやシロップ、コンポート、果実酒などや、ハーブティなど。果物とハーブを使ったレシピが満載。(主婦の友インフォス情報社)

『早稲田大学競走部のおいしい寮めし』
陸上の強豪、早稲田大学競走部の選手達の体づくりをささえる、美味しい日々の寮めしの献立。普通の家庭料理だけれど、アスリートの体をつくる、エネルギーをもらえるレシピ。(主婦の友インフォス情報社)


写真展歴
個展
1999 「青の空間」(クリエイト札幌ギャラリー、北海道札幌市)
2000 「tanuki koji」(イーストウエストギャラリー、北海道札幌市)
2001 「aquascape」(クリエイト札幌、北海道札幌市)
2001 「portrait 時間の肖像」(イーストウエストギャラリー、北海道札幌市)
2002 「Seasons of Trees」(ナナカマドアベニュー、北海道札幌市
2004  「北鎌倉」(PIGA画廊、東京都南青山)
2006 「きらきらふわふわ」(巷房、東京都銀座)
2009 「胡同のふとん」(巷房、東京都銀座)
2011 「イロイロシンガポール」(巷房、東京都銀座)
2015 「庭の花図鑑」(巷房、東京都銀座)

グループ展
2003 「passage04」(札幌市民ギャラリー、北海道札幌市)
2004 「汎美展」(東京都美術館、東京都上野公園
2004  「中国・日本「景」の表現/漢字文化圏の写真作家による新たな「景」の創造」 (札幌コンベンションセンター、北海道札幌市)
2005  「日本旅行写真家協会展」東京都銀座 富士フォトサロン
2008 「汎美展」(国立新美術館、東京都六本木)
2011 「TAIWAN PHOTO」(台湾 台北市)
2012 『TOKYO PHOTO」(東京ミッドタウン 東京都六本木)
2013 『Sometime』(インスタイルフォトグラフューセンター 東京広尾)他多数

私がこれまでどのような写真の経歴をたどってきたのか、

以下に記します。

(長いので読みたい人だけ読んでくださいね)
野山の植物を撮るために、写真を始めた。

私が写真を始めたきっかけは、大学に入学して、
友人に誘われて入ったサークルでした。

そのサークルは、「野山に出かけて、野生の動植物を観察しよう」というサークルです。
それまで、自然とか動植物には全く興味の無かった私でしたが、
そのサークルでの活動に参加するごとに、
今まで知らなかった自然、特に植物の魅力に取り憑かれていきました。

あるとき、夏の合宿で、南アルプスの北岳に登りました。
北岳は、標高3,192m、日本で富士山の次に高い、
日本第2位の高さの山で、高山植物が豊富な山として有名です。

先輩や同級生の友人が、カメラを持ってきていて、
みんなで花の写真を撮っているなか、
私は試しに、友達のカメラを覗かせてもらって、
初めて写真を撮らせてもらいました。
初めて撮った花は、ミヤマキンバイという小さな花です。

実は、私の実家にはカメラが無く、
それまで、ほとんどカメラというものに
興味を持ったことが無かったのです。

友人のカメラを覗いた瞬間、
なぜか不思議と、次のように思いました。

「これは、自分がやる仕事だ」

初めて撮ったにもかかわらず、
何の根拠もなく、意味不明な自信たっぷりにそう思いました。
今思えば、不思議ですが、それが私のカメラ人生のスタートです。

山を下りて、自分が当時住んでいた町に戻ったら、
早速カメラ屋さんに行って、カメラを買う事にしました。

最初に買ったカメラは、NikonのFM2というカメラです。
当時、オートフォーカスのカメラが出て、
それが一般的になろうとしている時でした。

私が選んだカメラは、マニュアルカメラ。
唯一カメラがやってくるれるのは、
露出を測ってくれる、ということだけ。

絞りもシャッタースピードも、
ピント合わせも、露出補正も、
全部自分の手作業で行います。

このマニュアルカメラを買ったのが、
私がそのあと、写真の世界にどっぷりはまり込んで行くきっかけでした。
もし、オートのカメラを買っていたら、
ここまでのめり込むことは無かったでしょう。

全ての作業をマニュアルで操作する、
ということは、
カメラの原理、用語の意味を完璧に理解していなければ、
瞬間的な判断はできません。

不思議な事に、根拠の無い自信たっぷりの私は、
カメラを始めて、全くの最初からプロが印刷用に使う
リバーサルフィルム(印刷原稿用のスライドフィルム)で撮影しました。

リバーサルフィルムは、普通のネガフィルムよりも、
ラチチュード(反応できる光の明るさの幅)が狭いので、
露出が難しく、失敗しやすい上、値段も高価なのです。

いきなり、趣味でも遊びでもなく、
自分はプロだという意識を持って、自信満々で、
花の写真を撮っていました。

あるとき旅行先で、ある有名な自然写真家の先生に出会いました。

思い込みと勘違い力の強い私は、その先生に、
「プロになりたいと思っています。
今度、写真を見ていただけませんか?」
と、長い手紙を書いてお願いをしました。

その先生は、本当に親切に、その後実際に会って時間を割いて、
私の写真を本当に見てくれる機会を作ってくださいました。
それまで、撮った作品を沢山持って行き、

自信満々に、ライトボックスの上に、
それまで撮影したポジフィルムを広げました。

私の自信作を一目みた先生は、以下のようにおっしゃいました。

「下手すぎる」
「色が汚い」
「背景が汚い」
「ピントが合ってない」
「カメラがぶれている」
「ボケすぎて、何の花か分からない」
「何を撮りたかったのか、分からない」

などなど・・・

天狗になっていた私は、 一気に、谷底へ突き落とされました。
先生は、私が真剣にプロになりたいと言っていて、
それをちゃんと受け止めてくれたために、
そのように 厳しい愛のある指導 をしてくださったのです。

どうでもいい人だったら、面倒くさいので、下手な写真でも
「ああ、きれいですねー。いいんじゃないですかー。」
としか、言わないでしょうから。

 

その先生は、その後、私に写真の基礎から、徹底的に教えてくださいました。

それこそ、
ピントの合わせ方
露出の合わせ方

といった、基礎中の基礎からです。

それまで、私は写真については、
カメラの取り扱い説明書しか見た事が無かったのです。

先生から言われたことの一つに

「空気のつぶが写っているような写真を撮りなさい」

ということがあります。

禅問答のような、お言葉ですが、

なんとなく、その意味も、撮り方も分かってきました。

風景写真の神様、故・前田真三先生に影響されて

大学生時代に、偶然、書店で見つけた、
日本の風景写真の第一人者・前田真三先生の「一木一草」という写真集。
その写真集に載っていた数々の素晴らしい風景写真に圧倒されました。


一木一草―前田真三写真集

「こんな写真を撮りたい!」

アルバイト代をつぎ込んで、絶版になっている写真集以外、
手に入るだけ全部の写真集、ポストカードを入手し、
毎日毎日欠かさず、大学の勉強そっちのけで、
全部の本の全部の写真を食い入るように見る日々が続きました。
どの写真がどの本に載っているのかを暗記するほど5年ほど見続け、
頭に叩き込みました。
私の写真のベースは、前田真三先生にあります。
今でも、迷った時には
「こんなとき、先生ならどう撮られるかな?」
と想像しながら撮影に臨みます。

美瑛、礼文島に通い
植物分類学の勉強をするために、北海道に移住

大学を卒業した後、
北海道の野生植物の植物分類学を勉強したいということ、
大好きな寒冷地植物で有名な礼文島、
美瑛の丘(前田真三先生の丘の風景写真で有名)に通いたい・・・
という思いで、札幌に移住し、
北海道大学の大学院で研究生として在籍することにしました。

1年間、北大の植物分類学の教授のもとで、
北海道の野生植物の分類、地理学を学んだ後、
札幌の環境調査の会社で働くことになりました。

そこでは、北海道中の山、川、湿原などで、
野生植物の調査をする日々で、毎日毎日、植物に接します。
だいたいどんな植物がどんな環境に生えているか、
地形図を見ただけで、そこがどのような植生なのかというのが、
予想できるほどに分かってきました。

この時の体で覚えた知識と経験が、
今の私の植物写真のベースになっています。

 

ある時、さまざまな偶然とご縁が有り、
憧れの前田真三先生とゆっくりお話する機会がありました。

私は、先生の北海道の家の庭の掃除を手伝いながら、
先生は横に座って、写真のことではなく、人生の秘訣といった、
とても大切な事を、ゆっくりと優しくお話してくださいました。

前田真三先生から直接、
実際に写真の撮り方について、
教わることはありませんでしたが、
もっともっと大切な事を教わり、
その教えを人生の指針としてきました。

大好きな前田真三先生の写真集を毎日のように見て、
自分もこんな写真を撮りたいと、
休みの日や出張で野山へ出かけたときなどに、
北海道の自然の風景を大量に撮影しました。

当時は、まだデジタルカメラが無く、
中判のフィルムカメラを使っていましたので、
仕事で稼いだお金のほとんどが

フィルム代、機材代に消えていきました。
本当にカメラを出す事ができない嵐のような日でも、
カメラをビニール袋に入れて、レンズをタオルで拭きながら撮りました。
お金がなくフィルムを買えない時は、フィルムを入れずにファインダーを覗いて、
シャッターを切る、ということもやっていたこともあります。

でも、どんなに頑張っても、
前田真三先生の写真の表面をなぞっただけの写真、
先生の物まねの写真にすぎません。

ですが、前田真三先生の作品を模倣したような写真を10年間撮り続けることで、
自然の風景を撮る写真の基礎的な技術は、自然に身についたと思います。

撮影してきた膨大な量の写真は、
今見ると、人に見せられる写真はほんのわずかで、
それ以外はただのゴミの山です。

でも、その 無駄に見えるゴミの山の積み重ねの上に、
今の技術が身に付いている のだと思っています。

初めて写真集「portrait」

会社に入っても、
一度は諦めかけたプロの写真家になる夢を捨てきれず、
「30歳になったら会社を辞めて、東京に行ってプロになります」
と宣言し、本当になってしまいました。

会社に在職中から、
札幌のギャラリーで、写真展を定期的に開催していました。

その中で、ある時、小樽の倉庫の壁を中心にした写真展を開催しました。
その後、しばらくしてから、
ずっと私の個展を最初から見てくださっている方から連絡があり、
「写真展でやっていた壁の写真で、本を作りなさい。費用は出してあげます。
東京に行く時に、名刺代わりにしなさい。」
という、夢のようなお話をいただきました。

そして、出来上がったのが、私の処女作「portrait」です。

最高の紙と最高の印刷で、素晴らしい本を作って頂きました。
この本を携えて、今度は東京へ移住しました。

 

プロ宣言してからの苦労

「プロになる」と言っても、ただの自己宣言ですから、
すぐに仕事にありつける訳ではありません。
人脈ゼロで、なんのあても、お金の蓄えも無く、
無謀にも東京に出てきてしまいました。

いろいろな出版社に売り込みにいっても、
なかなか取り合ってもらえません。
メジャーな雑誌などは、売り込みに行くアポすら取る事ができません。

悶々とした日々を過ごし、
パチスロ工場の組み立てや引っ越しの日雇いアルバイトで食いつなぎながら、
なんとか写真の仕事にありつけないかと、
自分を相手にしてくれる出版社を探していました。

 

人生を変えた、あやめの写真

 

あるとき書店の雑誌コーナーで、
「マイガーデン」 という、とてもきれいなガーデニングの雑誌を見つけました。
「これだっ!」と直感的に思って、
本屋の片隅ですぐに出版社に電話し、編集長にアポを取る事ができました。
編集長に、北海道で撮りためた作品を見てもらいました。

編集長が私の写真を見た瞬間に発した言葉が忘れられません。
たった一言、 「圧倒的!」

やっと、自分の写真を気に入っていただける人に巡り会うことができました。
中でも、北海道の厚岸町にあるアヤメが原の朝霧の風景は、

とても気に入っていただき、 雑誌初登場にもかかわらず、
4ページの私の作品ページで見開きで大きく掲載と巻頭特集という、
超破格の待遇で、マイガーデンに迎え入れられたのです。

雑誌「MyGARDEN NO.31」

その写真は、私の人生を大きく変えるきっかけになりました。
ある時、取材で、
北海道の帯広にある紫竹ガーデンという観光庭園に行きました。

そこのオーナーの紫竹さんは、
その前に発行されていたマイガーデンの私のアヤメの写真をご覧になっておられて、
「この写真を撮った人に、うちの庭を撮ってほしい」 と思われていたそうです。
そこに、私が取材で訪れ、その場で、継続的な撮影を依頼していただきました。
その後紫竹ガーデンに4年間通い写真を撮ることになり、
NHK出版から写真集を刊行してもらうことができました。

紫竹ガーデンには、それから10年以上も
家族のようなおつきあいをさせていただいてます。


紫竹おばあちゃんの幸福の庭

実は、それまでプロの写真家になるのを反対していた母も、
このあやめが原の写真を見て、応援しようと思ったそうです。

 

天候に振り回され、時間との戦いのガーデン撮影

ガーデン雑誌の取材では、あらかじめ撮影日程が組まれています。
アマチュア時代のように、
自分の好きな時間帯、好きな天候の時に撮るということはできません。

一日に5件の取材先を訪れることもしばしば。

その取材先の庭を拝見させていただいて、 すぐに、

・その時の光の状態がよい場所はどこか、
・その庭のその日の最高にきれいな主役になる場所はどこか、
・その日に最高に美しい表情をしている花はどれか
・今まで過去に掲載された庭とくらべて、何が特徴的なのか、
・その庭の施主さんのこだわりはどこか
・どこをどのように見せれば、ガーデンの記事として、読者の皆様の庭作りの参考になるのか・・・

などということを、超短時間で自分の目で判断し、
記事に必要な写真はどんなものか、
カット数と時間を計算しながら、 ものすごい集中力で撮影します。

はっきり言って、撮影中は人格が変わります。

ですから、一日の撮影が終わったあとは、
エネルギーを使いすぎて、廃人のようにぐったりしてしまいます。

スケジュールがあらかじめ綿密に組まれているため、
カメラが壊れそうな嵐のような悪天候以外は撮影決行。

一般的に植物写真には全く向いていない、
と言われる炎天下の正午近くでも、本降りの雨の中でも、
編集長を満足させられ、雑誌が売れるような、
読者の皆様やお庭の施主さまが喜ばれるような写真を
撮らなければいけない状況も、
数多く経験してきました。

私は、取材の時は、どんな天気になるのか、
どんな花がその日によく咲いているのかなど、事前には分かりません。
プロのカメラマンはどんな条件でも、撮影料を頂いているからには、
最高の結果を出さなければなりません。

そんな中、
過酷な炎天下や、雨の日でも、
一般的には良いとされている曇りの日よりも
魅力的な写真を撮ることができる技を、
数多く身に付けてきました。

プロに転向して、今年で、10年が経ちました。
ガーデニング、園芸の分野では、
日本中の大勢の方に私の写真をたくさん見ていただける機会をいただき、
最近では、撮影者として私をご指名していただける方もたくさんいらっしゃって、
本当にありがたい限りです。

花の写真を撮って、お金を頂いて生活している写真家は、
日本では本当に数えるくらいしかいないと思います。

それも、普段私の写真を楽しみにしてくれている読者の方々におかげです。

 

インターネット写真講座を作った理由

いろいろな撮影技法を、大勢の人にお伝えしようと思ったのは、
いつも私の写真を見てくださって、
私を支えてくださっている皆さんに、
写真を見るポイントや、撮り方のヒントをお教えすることで、
もっと写真に興味を持って頂いて、楽しんでいただくためです。

インターネットで、というのは、
日本中にいらっしゃる写真愛好家の方でも、
なかなかスクールに通えない、時間がない、
地方に住んでいるので、近くに教えてくれる人がいない
という方でも、お気軽に参加していただけるようにするためです。

日本一の実業家の斉藤一人さんの著書の中で、

「大切なことは、自分のしあわせを感じるレーダーの感度を、常に上げていかないとダメ・・・レーダーの感度を上げていけば、自分のまわりにしあわせがいっぱいあることに気づけるんです。」(変な人の書いた世の中のしくみ、斉藤一人)

という文章があります。

私の写真が、皆様が幸せを見つけるヒントになるように、お役にたてたら幸いです。

長々と、読んでくださり、
ありがとうございました。

福岡将之